専門領域、治療医としての経歴 |
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1973年(25歳)
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東京大学医学部卒業 東京大学医学部付属病院産婦人科 |
1978年(30歳) | 東大医学部病理学教室(2年間) |
1981年(33歳) | 茨城県立中央病院産婦人科医長(5年間) |
1986年(38歳)
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東京大学医学部 婦人科講師 同付属病院分院 病棟・外来医長(3年間) |
がん専門医として
力を注いだ新しい治療法
緩和ケア医(在宅ホスピスケア)専門医としての経歴 | |
1989年(41歳) |
白十字診療所医師(在宅緩和ケアの開拓) |
1994年(46歳) |
社会福祉法人賛育会 賛育会病院長 |
1998年(48歳) |
23区内で2番目の緩和ケア病棟を賛育会病院に開設 |
2000年(52歳) |
在宅緩和ケアチーム『パリアン』代表(現在に至る) |
現在 |
医療法人社団パリアン理事長、クリニック川越院長 |
わが国初の
在宅ホスピスケアのテキスト
(メヂカルフレンド社、1991年)
がん患者、がん患者の家族としての経歴
1987年(39歳) |
結腸がん手術、腸閉塞手術。がんサバイバー |
2007年(59歳) | 妻が急性骨髄性白血病。妻もがんサバイバー |
行政などへの関わり |
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2002~2003年 | 厚生労働省 新たな看護のあり方に関する検討会委員 |
2004~2006年 |
麻薬管理マニュアル改訂検討会座長 |
2005~2008年 |
「在宅療養者の看取りにおける訪問看護師と医師との連携に関する研究」 研究代表 |
2006~2007年 |
社会保障審議会 後期高齢者医療の在り方に関する特別部会委員 |
2007~2016年 |
厚生科学審議会科学技術部会委員 |
2008年 |
「安心と希望の医療確保ビジョン」具体化に関する検討会委員 |
2009~2013年 |
がん対策推進協議会委員 |
2010年~ |
チーム医療推進方策検討ワーキンググループ委員 |
在宅ホスピスケアの
3冊目のテキスト
(医学書院 2013年)
緩和ケアに関する著書 |
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「家庭で看取る癌患者-在宅ホスピス入門」 | (メヂカルフレンド社 1991年) |
「在宅ホスピスケアを始める人のために」 |
(医学書院 1996年) |
「在宅ホスピス・緩和ケア 演習形式で学ぶ ケアの指針」 |
(メヂカルフレンド社 2003年) |
「がん患者の在宅ホスピスケア」 |
(医学書院 2013年) |
「家で死にたい」 |
(保健同人社 1992年) |
「やすらかな死」 |
(日本キリスト教団出版局 1994年) |
「いのちとの対話-生と死の現場から」 |
(日本キリスト教団出版局 1997年) |
「アクティブデス」 |
(岩波書店 1997年) |
「生と死のはざまで」 |
(保健同人社 2000年) |
「ひとり、家で穏やかに死ぬ方法」 | (主婦と生活社 2015年) |
緩和ケアに関する取材・出演番組 |
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1993年2月18日 | NHK ニュース21特集 「自宅で最期の日々を」 |
1993年4月25日 | テレビ朝日 「家で看とった息子の死」 |
1993年12月5日 |
テレビ朝日 サンデープレゼント「愛する人たちへ 最期は家で…」 |
2006年9月7日 |
フジテレビ NONFIX 「自分の家で死にたい」 |
2011年5月18日 |
NHK あさイチ 「松井さん家族、最期の1週間」 |
2012年4月 1日 |
BS日テレ 医療の扉 「末期がん患者と向き合う在宅緩和ケア専門チーム」 |
2013年 7月 7日 |
BS-TBS 報道部 特集「1人暮らしの在宅終末期医療」 |
2014年11月17日
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NHK プロフェッショナル仕事の流儀 (NHKのページが開きます) |
2016年1月28日
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テレビ朝日 モーニングショーそもそも総研 「病院で死ぬことはこれからも当たり前なのだろうか?」 |
2016年3月24日
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テレビ朝日 モーニングショーそもそも総研 家族はどのように受け止めるのか?」 |
2016年6月27日
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フジテレビ みんなのニュース 「最期の時をどこで 60歳で末期がんに…ある夫婦の決断」 |
2018年1月26日 |
BSフジ LIVE PRIME NEWS 私の提言 |
2009~2013年 | ラジオNIKKEI がんからの出発~いのちみつめて パーソナリティ |
2013~2016年 | ラジオNIKKEI 日曜患者学校ーがんからの出発 パーソナリティ |
2016年~ |
ラジオNIKKEI 大人のラヂオ パーソナリティ |
TV朝日 「愛する人たちへ~最期は家で…」